翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョー・クーク
・ ジョー・クーン駅
・ ジョー・グラボウスキー
・ ジョー・グラント
・ ジョー・グリファシ
・ ジョー・グリーン
・ ジョー・ケネディ
・ ジョー・ケリー
・ ジョー・ケリー (1871年生の外野手)
・ ジョー・ケリー (投手)
ジョー・ケリー (野球)
・ ジョー・ゲインズ
・ ジョー・コク
・ ジョー・コッカー
・ ジョー・コック
・ ジョー・コナー
・ ジョー・コーニッシュ
・ ジョー・コーポレーション
・ ジョー・コーポレーション (愛媛)
・ ジョー・コーポレーション (曖昧さ回避)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョー・ケリー (野球) : ミニ英和和英辞書
ジョー・ケリー (野球)[たま, きゅう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [の]
 【名詞】 1. field 
野球 : [やきゅう]
 【名詞】 1. baseball 
: [たま, きゅう]
 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball

ジョー・ケリー (野球) ( リダイレクト:ジョー・ケリー (1871年生の外野手) ) : ウィキペディア日本語版
ジョー・ケリー (1871年生の外野手)[たま, きゅう]

ジョセフ・ジェームス・ケリー(Joseph James Kelley、1871年12月9日 - 1943年8月14日)は、1890年~1900年代に活躍したアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは左翼手マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。右投げ右打ち。
== 経歴 ==
1891年にボストン・ビーンイーターズに入団。デビュー当初は打率.240前後と目立つ選手ではなく、ボストンでは12試合に出場しただけだった。翌年はマイナーのオマハ球団を経てパイレーツに所属、同年さらにボルチモア・オリオールズにトレードされた。
1893年、投手-本塁間の距離が長くなるルール改訂をきっかけにして、ケリーの打撃成績は急上昇する。同年153本のヒットと120得点を上げ、初めて打率3割を超えると、翌1894年には199安打、打率.393の成績を残した。四球の数も100を超えており、この年の出塁率は.502に達する。出塁率の上がったケリーは走塁面でも活躍するようになり、1894年から4年続けて40盗塁以上を記録するようになった。1896年には、リーグ最多の87盗塁を記録し盗塁王にもなった。
1899年にオリオールズの球団消滅に伴いブルックリンへ移籍。盗塁数は減ってきていたが打率は依然として3割を保っていた。1902年からはレッズの監督を兼任しながらプレーを続け、1908年ボストンでのプレーを最後に選手を引退する。監督としては前年の1907年に、インターナショナルリーグのトロント球団の監督を勤めチームを優勝に導く。トロント球団の監督は1914年まで勤め、この間2度のリーグ制覇を達成している。
1943年にボルチモアで死去。1971年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョー・ケリー (1871年生の外野手)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Joe Kelley 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.